美雨の部屋へようこそ

世界の旅日記や 文化、歴史のぷち・エッセイを書いています。他にも海外、国内のお気に入りのドラマのあらすじ&感想を勝手気ままに綴っています。

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百済(くだら)の落日 ~白村江の戦い~

百済(くだら)の落日  ~ああ白村江~


初めて百済の都・扶余を訪れたのは、新緑の季節でした。
足の向くまま気の向くまま、気の合う歴女友と、ソウルからバスにゆられて、二時間弱、ソウルの南西約100キロ、古代三王国の一つ、百済(くだら:ペクチュア)の王都に到着したのでした。


哀しみの落花岩から身を投げる女官たち
皐欄寺内部の壁画 白村江で百済が惨敗し、落花岩から身を投げる女官たち



百済とは

さて、「百済」くだらですが、聞いてもピンと来ない方も多いはず。
遠い昔のお話ですから。そこで一寸説明を。

百済 は、紀元前18年、温祚(オンジョ)王が慰礼城(ソウル漢江流域)で建国し、西暦660年の31代義慈王、ベス(扶余)に至るまで約700年固有の文化の花を咲かせ、東北アジア文化交流の役割をした海上強国でした。
その歴史文化の中心、扶余の王都、そして百済の最後の砦、扶蘇山城を美雨は訪ねたのでした。

扶蘇山城は天気がよければおよそ二時間ほどの所要時間でポイントを回れる扶余の最重要スポットです。

この城は百済都城で、平時には宮の庭園になり、戦争の際には最後の防御城として利用されました。

百済と聞いてピンと来なくても、日本が初めて経験した国際戦争「白村江の戦い」と聞いて、「あ!あの連合軍として参戦した連合軍か」と思い出す人もいるでしょう。「白村江」は、現在教科書では”はくそんこう”と教えられますが、以前は”はくすきのえ”と習ったものです。百済”くだら”も、現在は”ペクチュア”と表記する教科書が増え、韓ドラの影響もあるのでしょうか、時代の流れを感じますね。

さて、その「白村江の戦い」で唐と新羅の連合艦隊に敗れ、白馬江を遡り攻めてきた敵連合軍に落とされた扶蘇山城、その中には、食料を保存した軍倉址、落城の際に三千の宮女が節操を守るために身を投げた落花岩、犀蘭草、迎日桜、送月台などがあり、また、古代中国・日本と交易路の役割を果たした白馬江がすぐ近くに流れています。



扶余地図
扶余001地図


滔々と流れる白馬江(錦江の一部)
百済の母なる川白馬江 落城のおり、3000の官女が操を守るため身を投げた落花岩


扶余のシンボル、ロータリーに建つ百済王像
扶余のシンボル、ロータリーに建つ百済王像
いくらか雲行きが心配。



日本史上初の対外戦争「白村江の戦い」の時代背景について

史上初の対外戦争であった「白村江の戦い」戦いの鍵は日本海軍の活躍にかかっていました。およそ島国たる日本が外国と戦う場合、海軍なしでは何もできません。しかしながら期待の日本海軍は、けっして頼りになる存在でははありませんでした。
その一戦が起きた頃、つまり6世紀から7世紀にかけての朝鮮半島は、高句麗、百済、新羅の3回の鼎立状態にあありました。このうち優勢だったのは高句麗でしたが、高句麗は中国とも国境を接しています。たびたび侵攻して来る中国軍を撃退するのに精一杯で、なかなか朝鮮半島統一に全力を注げなかったのが実情。その中国では618年、唐が天下を統一します。唐は先代王朝である随の後を継いで、朝鮮半島への武力進出の機会を狙っていました。

この時期、日本は年表を見ると飛鳥時代にあたります。
大陸での動乱をよそに、中国とも朝鮮半島の3国とも交流を保ち。海の向こうからもたされる文化を取り入れ、国政を整えつつあった時代です。

ほどなくして三国のパワーバランスは崩れだします。高句麗、百済が連合して新羅を攻撃したのです。苦しくなった新羅は唐に助けを求め、ここに2国対2国の「第1次東アジア大戦」が勃発したのです。


「白村江の戦い」の舞台となった地域        北から唐陸軍        東から新羅軍
「白村江の戦い」の舞台となった地域



さて、「白村江の戦い」って、戦争の勝敗を決定付けた最終決戦ではありますが、考えてみたら一局地戦の名前ですよね。
一連のひとまとまりの戦いの名称があれば歴史上では都合が良いように思うのですが、そんなふうに感じた方いませんか?
たとえば、「百済復興戦役」みたいな一纏めの名称があれば良かった気もするのですが・・。
何故か無いですよね。
まあ復興に最終的に失敗して百済が永遠に壊滅してしまったので、そこまで取りざたすらされなかったのでしょうか。

言い伝えでは、「白村江の戦い」の以前に、半島南部の百済旧領地から一旦は日本軍が新羅軍を潰走させたりといった局地戦もあったようですが、情報がほとんど無いのがとても残念です。



おおまかではありますが、ここで少し、古代三韓について纏めた7世紀前後の東アジア国際情勢をおさらいです。

古代三韓史情勢
高句麗が起こる(B.C.37年)

新羅が起こる(356年)

隋滅び、唐が起こる(618年)

唐が中国全土を統一(628年)

唐が東突厥(とっけつ)を滅ぼす(630年)

唐が高昌国を滅ぼす(640年)

麗済同盟なる(642年頃~百済滅亡の660年まで)高句麗・百済

唐、第一次高句麗遠征(648年まで3回行うが失敗)

羅唐同盟なる(648年~670年)唐・新羅

百済滅亡(660年・復興軍壊滅663年)

白村江の戦いで日本・百済の敗戦(663年)

高句麗滅亡(668年)


唐代の墓の壁画に描かれた唐の官吏と新羅の使節(右)
白村江003 うちのきょーかしょより このおじさんピダムだったらやだなー
唐と新羅は緊密な連携のもと半島における他勢力の排除を図った



古代の謎;日本(倭)はなぜ百済に参戦したのか

教科書や歴史書にもっと詳しく載っていることを、敢えてブログにまる写しだけするのは好みませんし、歴史事象や年表についてばかり書くブログではないので、ここではテーマを絞ってみたい。

美雨がずっと疑問を持っているのは、何故日本は新羅でなく唐でもなく、百済に味方・参戦したのか、という点です。

663年「白村江の戦い」に至るまでの日本の最終的選択 。斜陽国である百済に手を差し伸べたこのときの政治的判断って、一見どうみても自殺行為のように思えませんか。
百済復興支援・援軍出兵(半島への積極的介入)は、中大兄皇子らの個人的な親・百済志向や、愛着やこだわりなどから来る「単なる私心から発したもの」なのでしょうか?
あるいは単に嫌・新羅、嫌・唐意識などからでしょうか?
前後の国交事情で判断しても、それも無いように思われるのです。

そうではなくて、あくまで大局に立った公的な国防危機意識からでしょうか? かなり無謀ですが、脅威である唐との間に少しでも半島に「防波堤」「緩衝地帯」を構築しておきたい等の意識がそうさせた結果でしょうか。

あるいはそれ以外の理由でしょうか?
皆さんはどうお考えでしょう。



中大兄皇子(のちの天智天皇)と中臣鎌足
王子と中臣鎌足
ハクスキノエに九州から援軍を送る決意を



昔から飛鳥時代の日本と三韓史が好きで、いろんな文献を読み漁りましたが、百済支援を決定した大きな要因に 当時の政治の中心にいた人の多くが 親百済、または百済ゆかりの人間が多かったといわれていますね。
それゆえ勝算の少ない百済支援を断行したのではないか という話もよく聞きます。
しかし美雨の考え(というよりも理想なのですが)は一寸違います。
当時の日本(倭)は唐や新羅とも仲の良い関係だったはずなのです。

にもかかわらず 、なぜ友好な関係を破棄してまで百済側に与したのか?
それは日本書紀に記されている斉明天皇の
「遠くから頼ってきているものを見捨てることはできない」 という言葉・・・ たとえ友達(唐、新羅)でも弱いもの(百済)いじめは許さん という義侠心、 打算よりも義によって百済救援を決意したのではないか 。
”そうだったらどんなに素晴らしいか””倭、カッコイイ~!”
という思いから、私は日本書紀に記されているありのままを支持しております。
ハイ、非常に単純な美雨です。(笑)

古代日本の歴史の中に一厘の正義とロマンがあっても良いのではないか・・・と。惨敗を喫したボロボロの負け戦ではあったけれど、扶余を流れる大河の名の如く、こころは錦。

ああ、白村江。



王城のあった扶蘇山入口
古代の三王国のひとつ、百済の都扶余。王城のあった扶蘇山
古代の三王国のひとつ、百済の都扶余。王城のあった扶蘇山


山の麓の三忠祠 入山(城)者は、まずここに詣でるのが常
PAP_0094.jpg



今回の百済・扶余史跡めぐりの軌跡について

無事扶余に着き不扶蘇山に入山した私たちは、麓の三忠祠にお参りしたあと、傘を開いたり閉じたりしながら、山頂を目指しました。こんもりと茂った扶蘇山の木々はその枝で参道のアーチを作り、雨から旅人を守るように惜しみなくその掌をかざしてくれるました。
おかげで、びしょ濡れになることもなく、傘をすぼめては、ああ!おお!ところどころ立ち止まっては、つわものどもの夢の軌跡をここそこで見出しては、感嘆の声をあげました。

鳥のさえずりが心地よく、しずくを戴いた菖蒲や沼の水連がそれは美しい。中腹の半月楼にたどり着いた時、左に扶余の街全体と右にあの大河、白馬江を見下ろしたときは、何事かおわしますかはしらねども・・・あの境地です、涙が思わずこぼれ落ちました。あのときの魂のときめきを美雨は一生忘れないでしょう。もちろん、連れと手に手をとりあっていたわりつつ雨のなか足場をさぐりながら登った山の参道も。



半月楼


半月楼――この名もどこかメランコリックで、憂いがありますね、堕ちゆく城の未来を暗示するかのように、
どこか儚げでミスティックです。

楼に上り宙を眺めると、つい李白の静夜思を思い浮かべてしまいます。
皮肉にも百済を滅ぼした側の唐の詩人の歌ですね。


半月楼から臨む白馬江の眺め
半月楼から眺めた白馬江の眺め
梢から透けて見える白馬江 夜は観月したのでしょうね、とても神秘的でしょう




代表的なみどころを駆け足ですがいくつかご紹介。

白馬江
国土の母なる川である4大河川の一つで、絹の水が流れると言われた錦江は扶余に達してはじめて白馬江と呼ばれる。川に沿って、天政台、落花岩、グドゥレ渡し場、宮南池、百済歴史再現団地などがある。

花亭からの眺め
落花岩上に立つ百花亭からの白馬江の眺望


軍倉祉
兵站用の物資や武具、また籠城に備えての備蓄食料を保存した軍倉祉。
山の中腹、遺構の跡だけ見ても百済という国がどれだけの軍事力を持った国だったかがわかろうというもの。
思わず策の中に足を踏み入れそうになるほど感銘した不思議なインスピレーションの湧く軍倉祉でした。

兵站物資の蔵の跡 土台跡をみてもどれだけの規模だったかわかろうというもの


落花岩
三国遺事の記録によれば百済が滅びた日(660年)、百済の女性たちが忠節と固い節操を守るために白馬江の身を投げた所で世界の人々も感動するほどの文化史跡地。3000人もの女官達が落城の際、次々と身投げするさまは、色とりどりのドレスがさながら美しく舞い散る花びらのようだったことからついた名勝。
絶壁はまだ赤いが、当時百済の女性たちが流した血で染まったためという伝説が伝えられている。白馬江黄市帆船に乗って見ることができる。

左:船より落花岩を臨む。            右:岩の頂上。絶景に立つ楼が悲しみを語る
船より落花岩を臨む。3000人もの女官達が落城の際、次々と身投げするさまは、色とりどりのドレスがさながら美しく舞い散る花びらのようだったことからついた名勝悲しみの落下岩
悲しみを湛える落花岩


皐欄(コラン)寺
落花岩に命を捧げた百済女性たちの霊を慰めるために落花岩絶壁の中腹に建てられた。王は常に皐欄寺後方の岩のすきまから湧き出る皐欄薬水を飲み、岩から生える皐欄草を浮かせて薬水であることを確認したという。

百済滅亡に際し、落下岩の断崖から身を投げた女官達の霊を祀った犀蘭寺



むすび

むすびに、この可憐で瀟洒な犀蘭(コラン)寺のことを。
眼前に、扶余で最も名だたる名勝、落花岩の百花亭が聳え立ってています。船の時間も気になり、そこに”在ったから”何気なく立ち寄るだけだったはずの犀蘭寺なのに、ここもなぜか胸が締め付けられそうな、とても魅力ある祠でした。寺というほどの規模も無く、祠というのも申し訳ない清楚な”拝殿”といったほうが相応しいだろうか。
落城の折、王に忠誠をつくした三千人の官女達がすぐ上の落花岩から身投げした その霊を慰める為に千年以上もここで祈りの香が焚かれているという、いわば女忠臣蔵たちの涙のあとなのに、とても清々しい”気”が流れていて、暗さや恨みの”気”はまったく感じられない。むしろ、女性たちの愛と優美さに包まれるような、そんな祠でした。

あとで知ったことですが、ここには、扶余の市民のみならず、韓国中から祈りを捧げにくる訪問者があとを絶たないという。汲めなかったけど、寺の裏手から、病気の治る清水も湧いているという、やはり聖なる場所だったのです。
 もともと王宮の一部があったと言われ、礎石や千数百年前の瓦などがごろごろしている、まさにお宝スポットのようです。(でも持ち出しは絶対にいけません。お水はよし)
急に思いついたように訪れた扶余の、思いついたように立ち寄った犀蘭寺に、私と友人は一瞬魂を抜かれたように釘付けになってしまいました。
やはり、感じるものがあるのです。

ここは写真をとってはいけない。
そう直感しました。


抱き合って別れを告げる女官たちの姿も 次々と白馬江に身を投げて
悲しいね・・涙でるよ・・・
「さようなら・・先にまいりますね。極楽浄土で会いましょう」そんな声がきこえてくるよう
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犀蘭寺境内裏手岩盤から湧き出る薬水 王が薬効を確かめたという伝説も



薄暗いお堂のなかには、金色の如来さま(でもお顔がとてもユーモラス)が安置され、私の今までに見たことがない図柄・・千手観音像のような絵ですが、髭を蓄えたソン・イルグクさんみたいな観音様が飾られていました。天井からは、所狭しと赤い飾りが吊り下げられ、奥には千体仏のような小さな仏像が並んだ光景から、幾世紀隔てた いまも、途切れずに続くひとの祈りの奥深さに、胸を打たれました。

赤い提灯に、願い事を籠めた白い短冊が吊り下げられていました。名前や住所、日付けなどの記載があったように思います。ともる蝋燭の敬虔さ・・・・美しさ。
しばし時を忘れてわたしたちは思わず祈りをささげました。

何に?

女官たちに。
自分の小さな欲望なんて、ここでは吹き飛んでしまう、魂を浄化するような何かがあります。
示し合わせたわけじゃないのに、私も連れも、少なくないお賽銭を捧げていました。
もちろんずっと無言です。

みさおを守った官女様たちが天国でお幸せでありますように。
この地が二度と戦乱にみまわれない、平和で美しい地であり続けますように。
ここまで登ってきて、祈りを捧げる旅人達を、どうぞお守りください。

千数百年前も、落花岩上で 天に旅立つ前に最後にまぶたに焼き付けたであろうこの風景を、同じ位置で同じ視線で眺めつつ、感慨にむせぶ私たちに しっとりとした優しい風が、白馬江の流れとともに東から吹いてくるのでした。




美雨


白馬江下りの 風情ある屋形船 
渡し場のおばちゃん、優しかった・・・扶余で有名なトウガラシの値付けを買いました
❤最後まで読んでくれてありがとう❤



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Comment

鍵コメbさま 

こんにちは^^
こちらこそご無沙汰しておりますが、お元気そうで嬉しいです。

> 最近、史劇中心の韓国ドラマ視聴ですが歴史の認識も大切だと実感していましたv-11


bさんもですか@@!
実は私も最近は史劇ばかり見ています。
中国の歴史ドラマもわりとおもしろかったです。
イルグクさんの乗馬姿と演技には到底かないませんが…韓流の現代ものは全く見ていません(>_<)

ただいま「輝いたり、狂ったり」見てますが面白いです
> (史劇の王道ですが)

わお、ありがとうございます。( ..)φメモメモです♪
  • posted by MIUMIU 美雨 
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  • 2015.04/22 18:58分 
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  •  
  • 2015.04/22 08:35分 
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形名さま 

はじめまして。ご訪問ありがとうございます。

古代史に造詣の深い形名さんからコメントをいただき光栄です。
昨晩は休日で帰りが遅くなり、失礼を致しましたm(__)m

大昔すぎて資料が乏しいこともあり、白村江に関してのミステリーはつきませんよね。
もちろん結果は大和朝廷・百済の負けですが 、一説には 中大兄皇子が九州勢力の力を削ぐためにわざと 負けたという説や、唐・新羅に日本は征服されて 大宰府は唐の都護府だったという説も(ドラマのようですね。)とびかったようです。
また天武天皇も新羅系の人だという説もあります。
状況論ではありますが、日唐同盟を阻止すべく 新羅系の天武が天智にとってかわったとも考えられると思います。
白村江の戦いは歴史をどのように動かしたのかを 検証してみたいですね!^^

形名さんのコメントで、私も 皇極(斉明)天皇の治世について、勉強したくなりました。

リンク、こちらも貼らせていただきました。
歴史記事だけでなく、ドラマや ちゃらい記事も書きますが(笑)どうぞよろしくお願い致します。
  • posted by 美雨 
  • URL 
  • 2015.04/20 00:07分 
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百済の落日を読んで 

確かに現在の私たちから見たら、日本は無謀な参戦をしたと思いますね。
当時の天皇である斉明とそれを取り巻く群臣らは中国、朝鮮半島の
軍事情勢を把握出来ていたのだろうかと。
はたして参戦に向けて朝廷内の合議は取れていたのか疑問があります。
私は皇極~孝徳~斉明という時代の治世と事件を見ていくと、この女帝には
強烈な意志の力を感じるんです。通説では息子の中大兄皇子が仕切って
いたような説が多いが事実は逆ではないか・・・
今はまだ考えがまとまりませんが、いつか自分でも記事にしたいと思います。
考えるきっかけを頂いて感謝です。
私は韓国に行ったことがないのですが写真を見て行ってみたくなりました。
天気がよくなかったようですが美しいですね。
リンクを張らせてもらいました。
  • posted by 形名 
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  • 2015.04/19 18:39分 
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  •  
  • 2015.04/15 15:45分 
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サミーさま 

こんばんは。
ご訪問とコメントありがとうございます。m(__)m

そうですよね、「はくすきえ」もしくは「はくすきのえ」でしたね。
昔の人は、どうしてそのような読み方をしたのでしょうね。
朝鮮半島の”ペクチュア”とおなじく漢語読みに近いほうが自然のように思えますが・・(^_^;)

> 日本が参戦した対外の戦、当時の日本には戦力的には朝鮮のそれにはかなうものがあるはずがないのに、弱体化した百済に味方したのは、ご考察の通り義を重んじたのでしょう。

共感して下さってありがとうございます。
もちろん、百済支援を決定した大きな要因には、当時の政治の中心にいた人の多くが 親百済、または百済ゆかりの人間が多かったというのが妥当な見解でしょうが、歴史のなかに「義のこころ、ただひとつ」という一厘のロマンがあってもおかしくはないでしょうね^^
昔日本と半島は、このように対等な強い絆で結ばれていたのだと思うと、今の情勢が哀しく思われます。
  • posted by MIUMIU 美雨 
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  • 2015.04/14 23:53分 
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makiraさま 

こんばんは^^
いつもありがとうございますm(__)m

これはあくまで私の希望的見解なのですが、この頃の歴史の資料が乏しいために、どの学者も推測の枠をでません。ただ、この時点で日本は大陸に敵対する国はなく、唐や新羅とも友好的な関係にあったのです。
そうなると、日本書紀に記されている斉明天皇の 「遠くから頼ってきているものを見捨てることはできない」 という詔、 たとえ友達(唐、新羅)でも弱いもの(百済)いじめは許さん という、日本人らしい純な義侠心から発したものでないか、と閃くものがありました。
こののち、わずか5年たらずで隣国の高句麗も滅びますが、倭の朝廷は、亡命してきた高句麗貴族や家臣たち
1799人をも受け入れ、武蔵の国を与えています。
こんなところからも、大陸から海を渡ってきた文化人に対して、国家わけへだてのない友好の情が感じられます。
  • posted by MIUMIU 美雨 
  • URL 
  • 2015.04/14 23:40分 
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はくすきえ 

僕らの時代は「はくすきえ」でしたね。
あの頃歴史にあまり興味なかった僕でも思い出しましたよ。
日本が参戦した対外の戦、当時の日本には戦力的には朝鮮のそれにはかなうものがあるはずがないのに、弱体化した百済に味方したのは、ご考察の通り義を重んじたのでしょう。
美雨さんらしい考えだと思います。

ここに訪れて遠い昔の歴史を思い、観光するのもいいですね。
イルグクさんもいいけど、歴史ブログにふさわしい美雨さんの真骨頂が随所に見えましたよ。

  • posted by サミー 
  • URL 
  • 2015.04/14 08:59分 
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NoTitle 

こんにちは、美雨さん!
またまた興味深いお話しありがとうございます。

朝鮮半島が唐による日本侵略の拠点となることを防ぐ意味において、 百済を見捨てて本土決戦に備えるか、または百済を助け朝鮮半島における百済を 日本の防衛拠点とするかの究極の選択だったのでしょうね!
強いものには巻かれろ主義でなく、美雨さんの言われる義侠心が 百済を助けたと想いたいです。

結果としては惨敗でしたが、国は滅んでも百済人の救いは日本亡命だったのでしょう。 そのお蔭もあって、現代まで脈々と続く百済文化が今の日本のなかに確かに存在し 日本の文化発展の大きな礎となったことは確かなことだと思います。 応援P☆!オール
  • posted by makira 
  • URL 
  • 2015.04/14 08:17分 
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tedukuridaisukiさま 

こんばんは。

> 百済とか試験勉強用に覚えましたが、

そうですね、日本とも良好で密接な関係にあった古代三韓時代の歴史は、耳に残っているものですよね^^
でも、どうみても 新羅をしらぎ、百済をくだら、高句麗をこうくり、と読めないと思うのですが、当時の日本人(倭人)はそう発音していたのでしょうか。そんなコトがすご~く気になってしまいます。(^^;)
  • posted by MIUMIU 美雨 
  • URL 
  • 2015.04/13 22:27分 
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大川原英智さま 

こんばんは。^^
いつもご訪問ありがとうございますm(__)m

大川原さんも、付与に行かれたことがあるのですね。
仰る通り、独特のエネルギーを感じる場所ですよね。歴史的には悲哀を含んだ場所なのに、とても良い“気”を感じたのが不思議です。
「落下岩」の上からの眺望も素晴らしいけれど、白馬江を船で下りつつ、かの岩を見上げるのも風流でした。
女官たちが次々と色とりどりにドレスを翻しつつ落ちて行くさまは、悲しくもさぞ花が舞い散るような美しさだったのでしょうか。落花岩という名も、忘れられないですね。

素敵なコメントを、ありがとうございます。m(__)m
  • posted by MIUMIU 美雨 
  • URL 
  • 2015.04/13 22:20分 
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NoTitle 

歴史はちゃんと知るとおもしろいです。
でも、なかなか身につかない~^^;
百済とか試験勉強用に覚えましたが、
今はすっかり忘れてます。
美雨さん本当に歴史が好きなんですね~。

NoTitle 

こんばんは。

思い出しました。

15年ほど前になりますが、僕も百済の都、扶余に行ったことがあります。

「落下岩」

よく覚えています。

胸の奥から、こみ上げるような何かを感じました。

とても味わい深い記事を、ありがとうございました。
  • posted by 大川原英智(おおかわらえいち) 
  • URL 
  • 2015.04/13 20:56分 
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かえるママさま 

こんばんは^^
いつも素敵なコメントをありがとうございます。

百済は、古代日本に仏教を伝え、日本とも深い友好関係を持っていた国なので、この地を歩いていても、少なからず共鳴する出来事が沢山ありました。
山を降りてから雷雨があり、親日的な方から傘をいただいたり、また、その傘がすごく重くて、こんな立派な大事な傘を・・・と思うと、涙が出ました。
はるか千と数百年以上前に百済から倭に向けて船で渡ってきた金の観音像や仏たちと同じ重さを感じてみたり・・・
同じ思いを共有してくれたパートナーも良かったのでしょう、本当に忘れえぬ旅になりました。
写真を見ての通り、雨雲のなか、とても寒かったのに、ほかほかの蒸し餃子と温かい扶余の方々のホスピタリティーにこころがぽかぽかになった日でした。
  • posted by 美雨 
  • URL 
  • 2015.04/13 20:18分 
  • [Edit]

NoTitle 

美雨さんの記事がなかったら、想いを馳せることもなかったであろう歴史...そういうものに、千数百年も前の人達の生き様、ロマンを感じつつ歴史を学べる、素晴らしいブログです。

今は百済(くだら)をペクチュアと呼ぶのですね...
それだけでも、お勉強になりました。
  • posted by かえるママ21 
  • URL 
  • 2015.04/13 18:04分 
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プロフィール

MIUMIU 美雨

Author:MIUMIU 美雨
旅、歴史、長編ドラマ(短編も)のレビューやエッセイを書いています。
文化系の記事が多いですが、歴史ドラマ(大河ドラマ:八重の桜)や、韓ドラレビューも書きます。中でもソン・イルグクさんの作品が大好きです。
更新はマイペースで続けていきますのでどうぞよろしくお願い致します。

過去記事は画面右上の検索フォームか左下のカテゴリー、早見表で探して下さい。

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善徳女王
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