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2016.06/18 [Sat]
豊饒の女神アスタルテの都エリーチェ シチリア島
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豊饒の女神アスタルテの都エリーチェ シチリア島

エリーチェ6 オレンジの段々畑 海の向こうにチュニジアを臨む 対岸はアフリカ

イタリアは地図を見ると、おなじみのロング・ブーツの形。
そのつま先で、まさに蹴り上げようとしている三角形の物体、これがシチリア島です。
シチリア島(イタリア語:Sicilia / 英語:Sicily)は、地中海のほぼ中央部に位置し、東にギリシャとフェニキア、南にカルタゴやアラブ世界があるため地中海文明の十字路となった歴史があります。
島の歴史をざっと説明すると、古代ギリシャ人の都市国家から始まります。
アグリジェンド(街の名)を筆頭に現在でも地中海世界屈指の古代ギリシャの遺跡が多く残されています。時代の移り変わりを反映していて、カルタゴ、ローマ、そしてアラブと支配者が次々と交代し、様々な文明の痕跡が残る島です。面白いでしょう?
11世紀には、ノルマン人によるシチリア王国が建国され、ノルマン・ビザンチン・イスラムの三様式合わさった文化が花開きました。スペインのムデハル様式とも似て異なる、素晴らしいユニークさです。12世紀以降になると、ドイツ人、フランス人、スペイン人と次々と支配者が代わりました。
ちなみにシチリア州(Regione Sicilia, regione autonoma a statuto speciale)は、シチリア島と周辺の島々(エオリア諸島、エーガディ諸島、ペラージェ諸島、ウスティカ島など)から構成されています。

シチリア島には実は観光地が多く、とても1週間ぐらいでは回りきれない。
東はタオルミーナやシラクサ、中央にはパレルモとモンレアル修道院、内陸にはローマのモザイクで知られるピアッツァ・アルメリーナ、南にはギリシャ遺跡アグリジェントと、小さな島に見えて 第一級の名所が勢揃いなので、西にまで足を伸ばすのは、日程的にも大変なのです。
個人的にはシラクーサ(Siracusa)好きです。ギリシャ時代の数学者アルキメデス(紀元前287?~212年)の生まれた所です。当時は、ギリシャ植民都市の中で最も美しいと言われていたそうです。シラクーサの見所は、ギリシャ時代とローマ時代の遺跡が残る「ネアポリ考古学公園」とオルティージャ島の「旧市街」の2箇所です。
古代ギリシャ統治下にもあった島の歴史を反映するように、ギリシャ仮面劇がよく行われています。島の人達の顔もどことなく古代ギリシャのDNAを感じさせる面影も。素敵ですね。

テアトルグレコで上映されるギリシャ悲劇

個人的には西側において、イマジネーションを刺激してくれる土地に恵まれました。
その一つがエリーチェだったのです。
地中海全体を見回すと、東・中・西で、よく似た印象を与える土地があります。
それはコリント、エリーチェ、ジブラルタルで、特に前者の2つに共通するのは、
古代アスタルテ神殿が建っていたということであります。
ジブラルタルではそうした伝承は聞かなかったけれど、もし東方オリエントの信仰が伝わっていたら、あの岩山こそ、神殿を建てるには理想的な地形だったでしょう。
これは少々予備知識がないと理解し難いかもしれませんが、
古代における海洋民族、フェニキア人が地中海の覇権を握った時代があります。
多くの優れた船乗りたちが交易に従事し、この巨大なる内海を自由自在に渡り歩いていました。
一説によれば大西洋まで乗り出して、アフリカ沿岸から北方ヨーロッパまで到達していたと言われています。
彼らの主神はバール、女神としてはアスタルテを信仰していたという。
もともと、エリーチェの由来でもあるエリミ族がこの町を築いたといわれていますが、フェニキア時代からここには豊穣の女神「アスタルテ」を祭る神殿が聳え立っていたそうです。アスタルテはギリシャ語ではアフロディテ、ラテン語ではヴェネレ、そう、あの美の女神ビーナスです。ローマ時代には軍事上の拠点というよりもこのヴェネレ神殿の聖なる町としてあがめられていたといわれています
エリーチェ城跡 フェニキア時代からここには豊穣の女神「アスタルテ」を祭る神殿が聳え立っていた

土石はギリシャ時代、建物は中世まで幾時代ものパノラマを見渡せるよう
アスタルテは、後代になるとアフロディテやヴィーナスと同一視されましたが、
慈悲深き母なる女神、豊穣と多産を約束し、身体に無数の乳房をつけているという異形の女神です。
海を望む険しい山上に神殿が築かれ、多くの巫女たちが かしづいていました。
モノの本には、神殿売春と記されていますが、フェニキアやカルタゴの船乗りたちは、
行く先々で神殿を参拝して、航海の無事と女神の加護を願ったものです。
そして、なにがしかのお布施をしては、巫女と交わるのですが、巫女たちにとっても、女神に奉仕する行為と見なされていたという。
やがてローマがポエニ戦争で勝利を収め、帝国の覇権がギリシャ、中近東、北アフリカにまで及ぶと、こうした異教の神殿は破壊されてしまいます。
遠い時代の記憶を残した、どことなくノスタルジックな言い伝えではありますね。
標高751mの頂きから周囲を見渡せば、一目でわかりますが、ここは西地中海に向って睨みをきかせる重要な軍事上の要塞でした。しかし、今となっては神殿はすっかり廃墟と化して、跡形もない。古い岩盤や石塊も何も語ってはくれません。
付近には、12世紀の十字軍時代にノルマン人が築いた城、ゴシック式のマトリーチェ教会、近代に建てられた貴族の館などが見られます。
古代から続く石畳

海風が南西から吹いてきた。
チュニジアまでは約200kmと近い位置にあり、アフリカ行きフェリーも発着しているのもシチリアですね。
シチリアの中でも、どことなく北アフリカの香りが漂っているのは気のせいだろうか。
甘口でトロリとした風味のマルサーラ・ワインでも知られており、これはマディラやポルト、ヘレスのオロローソなどの製法の系統に連なっているようです。
廃墟のロマンの風に吹かれたい...という向きには、
西シチリアの幾つかの遺跡はお薦めかもしれませんね。
美雨
シチリアといえばブラッディーオレンジ.甘酸っぱくて何とも言えない香り


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豊饒の女神アスタルテの都エリーチェ シチリア島

エリーチェ6 オレンジの段々畑 海の向こうにチュニジアを臨む 対岸はアフリカ

イタリアは地図を見ると、おなじみのロング・ブーツの形。
そのつま先で、まさに蹴り上げようとしている三角形の物体、これがシチリア島です。
シチリア島(イタリア語:Sicilia / 英語:Sicily)は、地中海のほぼ中央部に位置し、東にギリシャとフェニキア、南にカルタゴやアラブ世界があるため地中海文明の十字路となった歴史があります。
島の歴史をざっと説明すると、古代ギリシャ人の都市国家から始まります。
アグリジェンド(街の名)を筆頭に現在でも地中海世界屈指の古代ギリシャの遺跡が多く残されています。時代の移り変わりを反映していて、カルタゴ、ローマ、そしてアラブと支配者が次々と交代し、様々な文明の痕跡が残る島です。面白いでしょう?
11世紀には、ノルマン人によるシチリア王国が建国され、ノルマン・ビザンチン・イスラムの三様式合わさった文化が花開きました。スペインのムデハル様式とも似て異なる、素晴らしいユニークさです。12世紀以降になると、ドイツ人、フランス人、スペイン人と次々と支配者が代わりました。
ちなみにシチリア州(Regione Sicilia, regione autonoma a statuto speciale)は、シチリア島と周辺の島々(エオリア諸島、エーガディ諸島、ペラージェ諸島、ウスティカ島など)から構成されています。

シチリア島には実は観光地が多く、とても1週間ぐらいでは回りきれない。
東はタオルミーナやシラクサ、中央にはパレルモとモンレアル修道院、内陸にはローマのモザイクで知られるピアッツァ・アルメリーナ、南にはギリシャ遺跡アグリジェントと、小さな島に見えて 第一級の名所が勢揃いなので、西にまで足を伸ばすのは、日程的にも大変なのです。
個人的にはシラクーサ(Siracusa)好きです。ギリシャ時代の数学者アルキメデス(紀元前287?~212年)の生まれた所です。当時は、ギリシャ植民都市の中で最も美しいと言われていたそうです。シラクーサの見所は、ギリシャ時代とローマ時代の遺跡が残る「ネアポリ考古学公園」とオルティージャ島の「旧市街」の2箇所です。
古代ギリシャ統治下にもあった島の歴史を反映するように、ギリシャ仮面劇がよく行われています。島の人達の顔もどことなく古代ギリシャのDNAを感じさせる面影も。素敵ですね。

テアトルグレコで上映されるギリシャ悲劇

個人的には西側において、イマジネーションを刺激してくれる土地に恵まれました。
その一つがエリーチェだったのです。
地中海全体を見回すと、東・中・西で、よく似た印象を与える土地があります。
それはコリント、エリーチェ、ジブラルタルで、特に前者の2つに共通するのは、
古代アスタルテ神殿が建っていたということであります。
ジブラルタルではそうした伝承は聞かなかったけれど、もし東方オリエントの信仰が伝わっていたら、あの岩山こそ、神殿を建てるには理想的な地形だったでしょう。
これは少々予備知識がないと理解し難いかもしれませんが、
古代における海洋民族、フェニキア人が地中海の覇権を握った時代があります。
多くの優れた船乗りたちが交易に従事し、この巨大なる内海を自由自在に渡り歩いていました。
一説によれば大西洋まで乗り出して、アフリカ沿岸から北方ヨーロッパまで到達していたと言われています。
彼らの主神はバール、女神としてはアスタルテを信仰していたという。
もともと、エリーチェの由来でもあるエリミ族がこの町を築いたといわれていますが、フェニキア時代からここには豊穣の女神「アスタルテ」を祭る神殿が聳え立っていたそうです。アスタルテはギリシャ語ではアフロディテ、ラテン語ではヴェネレ、そう、あの美の女神ビーナスです。ローマ時代には軍事上の拠点というよりもこのヴェネレ神殿の聖なる町としてあがめられていたといわれています
エリーチェ城跡 フェニキア時代からここには豊穣の女神「アスタルテ」を祭る神殿が聳え立っていた

土石はギリシャ時代、建物は中世まで幾時代ものパノラマを見渡せるよう
アスタルテは、後代になるとアフロディテやヴィーナスと同一視されましたが、
慈悲深き母なる女神、豊穣と多産を約束し、身体に無数の乳房をつけているという異形の女神です。
海を望む険しい山上に神殿が築かれ、多くの巫女たちが かしづいていました。
モノの本には、神殿売春と記されていますが、フェニキアやカルタゴの船乗りたちは、
行く先々で神殿を参拝して、航海の無事と女神の加護を願ったものです。
そして、なにがしかのお布施をしては、巫女と交わるのですが、巫女たちにとっても、女神に奉仕する行為と見なされていたという。
やがてローマがポエニ戦争で勝利を収め、帝国の覇権がギリシャ、中近東、北アフリカにまで及ぶと、こうした異教の神殿は破壊されてしまいます。
遠い時代の記憶を残した、どことなくノスタルジックな言い伝えではありますね。
標高751mの頂きから周囲を見渡せば、一目でわかりますが、ここは西地中海に向って睨みをきかせる重要な軍事上の要塞でした。しかし、今となっては神殿はすっかり廃墟と化して、跡形もない。古い岩盤や石塊も何も語ってはくれません。
付近には、12世紀の十字軍時代にノルマン人が築いた城、ゴシック式のマトリーチェ教会、近代に建てられた貴族の館などが見られます。
古代から続く石畳

海風が南西から吹いてきた。
チュニジアまでは約200kmと近い位置にあり、アフリカ行きフェリーも発着しているのもシチリアですね。
シチリアの中でも、どことなく北アフリカの香りが漂っているのは気のせいだろうか。
甘口でトロリとした風味のマルサーラ・ワインでも知られており、これはマディラやポルト、ヘレスのオロローソなどの製法の系統に連なっているようです。
廃墟のロマンの風に吹かれたい...という向きには、
西シチリアの幾つかの遺跡はお薦めかもしれませんね。
美雨
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2016.06/09 [Thu]
古代人の『夢占い』
古代人の『夢占い』

ルソー「夢」
最近、妙にリアルな夢ばかりみます。
そういえば、夢占いに凝っていた時期があって、5年間 起きてすぐ日記をつけていました。
夢なんて考えてみたらどれも荒唐無稽なものばかりで、脈絡なんて無いと言われればそれまでなのだけど、
現実よりリアルなものもあって、一概に荒唐無稽と言えないと信じている私です。
不思議なものは、実際は行ったこと無い筈なのに、よく出てくる風景、また家屋など。
夢のなかでも、「あれ、また出てきた」と良く認識しているのです。そして良く会う人。
実際は面識もちろんないのに。
何ヶ月前か何年前かは忘れてしまったけど、あのときの夢の続きが過去完了(?)進行形となって断続的に続いていたりする・・・
これって、単に脳みそのいたずら?
神秘主義者だったら、前世関わりのあった人と場所とか考えるのでしょうね。
あと、ずっと忘れていた難解な方程式を解いていて、試験用紙を前に、何桁もの掛け算などを筆算しているのですが(もちろん夢の中でです)、起きて大慌てでその問題と答えを持って、数学の先生に解いてもらったら正解してた、なんてこともありました。普段、紙がないと5桁の計算すら出来ないのに・・・夢のなかでは、出来ちゃうんですね。怖いです。(笑)
それ以来、もう何年か高島泉妙さんの夢占いを枕元においています。

フラ・アンジェリコ 受胎告知
さて、古くは日本でも、夢が影響力を持っていた中世には、見た夢を解釈する「夢解き」がいました。
「夢解き」とは、夢の内容を解釈して吉凶を判断すること。
また、それを職業とする人のことです。中世、武家も貴族も市井の人々も夢解きに、見た夢を解釈「夢合わせ」をしてもらっていて、夢解きには巫女、陰陽師や僧等が多くいましたが、中には怪しげな易者等も居たようです。
「夢語り、夢解きの中世」では、春日若宮が巫女に夢解きを依頼していることから、目的別に夢を占ってもらう流行があったようですね。
中世には、夢は神仏からのメッセージと考えられていて、夢は死者と会えるところでもありました。
中世では、死者は、死んだ時の姿にとどまらず、死者は現実の世界に居る私達と同じように、違う時空で人生を過ごしている、と考えられていましたから、死者は「夢の通い路」をつたって会う、別の世界の住人だった、という位置づけです。
これって、とてもポジティブで、明るい考え方ですよね。
現代の私達にも受け入れられるイデアです。 愛する人の肉体は朽ちて、二度と触れることは出来ずとも、傷、病、老、死、苦という生きている人間の免れ得ない苦しみから解放されて、違う世界で若く美しい姿で生きていてくれる。
そして、自分も死すればまたその世界で会えるという考え方。片割れが死んでも、夢の通い路を通して、夢の中で会えるのは、夢では、肉体と現世にガチガチに縛られた形而下の観念から解き放たれた自由な魂のパスポートが得られる、という考え方です。
人は肉体が朽ちたらそれで終わり、「無の世界」という禅的な考え方もあるけれど、中世の人々の夢と死の概念には、希望の一厘があると思います。
そう思えば、死は決して怖いものでは無い。中世の人々にとって、夢の世界は、ただのまぼろしでなくて、夢は生きている人々の世界と同じくらいの比重を持つ別の世界をつなぐ通路だった訳です。

冥界の王ハデスと取引し亡き妻エウリディーチェを現界に連れだすオルフェウス
イスラム世界でもそれは共通したものがあり、いまの私達の夢の位置付けと中世頃の人々におけるそれは随分ギャップがありました。それどころか、具体的に夢が人々を動かす力は現代よりも大きい、と考えられています。
ムハンマドが40歳の年、聖なるラマダーンの月にメッカに近い山上の洞穴で眠っていたとき見た夢の中で大天使ジブリールより、コーランの最初の啓示を受けたことを、彼は集まった信者たち説いてきかせ、信者に対しても夢に何を見たかを尋ねて、夢の象意を教えていました。彼も「夢解き」だったのですね。「夢、死」は宗教とも切っても切り離せない関係にあるようです。
アンジェロ・ブレリッヒの説では、ギリシャ時代にはるかに先行する時代から夢占いとインキュベーションの慣習は地中海全域で行われていて、人々は夢というものが、人間を超越した聖なる者たちが自分たちに送ってきてくれるメッセージだと考えており、人間では到底知りえない未来のことについて知るための手段であった、と説いています。それゆえに、夢は力を秘めうるというものです。
A midsummer night dream 「真夏の夜の夢」

シェイクスピアも夢の中で妖精からインスピレーションを得たのでしょうか
これは古来よりの統計学だそうですが、夢辞典によると、顕著な例でこんなふうに夢解きがされています。
☆大吉夢☆
ゾウが出てくる夢、猫が次々に家に入ってくる夢、富士山、金色に輝く山、自分が死ぬ夢、空を飛ぶ夢等
☆凶夢☆
カエルの夢、お金を拾う夢、好きな芸能人と共演してる夢、仏壇の夢、花火や流星を見る夢等
☆大凶☆
歯が抜ける夢、埋葬される夢等
だそうです。不思議な夢をみたことありますか?
何か、思い当たることなどあったら教えてくださいね。
美雨

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ルソー「夢」
最近、妙にリアルな夢ばかりみます。
そういえば、夢占いに凝っていた時期があって、5年間 起きてすぐ日記をつけていました。
夢なんて考えてみたらどれも荒唐無稽なものばかりで、脈絡なんて無いと言われればそれまでなのだけど、
現実よりリアルなものもあって、一概に荒唐無稽と言えないと信じている私です。
不思議なものは、実際は行ったこと無い筈なのに、よく出てくる風景、また家屋など。
夢のなかでも、「あれ、また出てきた」と良く認識しているのです。そして良く会う人。
実際は面識もちろんないのに。
何ヶ月前か何年前かは忘れてしまったけど、あのときの夢の続きが過去完了(?)進行形となって断続的に続いていたりする・・・
これって、単に脳みそのいたずら?
神秘主義者だったら、前世関わりのあった人と場所とか考えるのでしょうね。
あと、ずっと忘れていた難解な方程式を解いていて、試験用紙を前に、何桁もの掛け算などを筆算しているのですが(もちろん夢の中でです)、起きて大慌てでその問題と答えを持って、数学の先生に解いてもらったら正解してた、なんてこともありました。普段、紙がないと5桁の計算すら出来ないのに・・・夢のなかでは、出来ちゃうんですね。怖いです。(笑)
それ以来、もう何年か高島泉妙さんの夢占いを枕元においています。

フラ・アンジェリコ 受胎告知
さて、古くは日本でも、夢が影響力を持っていた中世には、見た夢を解釈する「夢解き」がいました。
「夢解き」とは、夢の内容を解釈して吉凶を判断すること。
また、それを職業とする人のことです。中世、武家も貴族も市井の人々も夢解きに、見た夢を解釈「夢合わせ」をしてもらっていて、夢解きには巫女、陰陽師や僧等が多くいましたが、中には怪しげな易者等も居たようです。
「夢語り、夢解きの中世」では、春日若宮が巫女に夢解きを依頼していることから、目的別に夢を占ってもらう流行があったようですね。
中世には、夢は神仏からのメッセージと考えられていて、夢は死者と会えるところでもありました。
中世では、死者は、死んだ時の姿にとどまらず、死者は現実の世界に居る私達と同じように、違う時空で人生を過ごしている、と考えられていましたから、死者は「夢の通い路」をつたって会う、別の世界の住人だった、という位置づけです。
これって、とてもポジティブで、明るい考え方ですよね。
現代の私達にも受け入れられるイデアです。 愛する人の肉体は朽ちて、二度と触れることは出来ずとも、傷、病、老、死、苦という生きている人間の免れ得ない苦しみから解放されて、違う世界で若く美しい姿で生きていてくれる。
そして、自分も死すればまたその世界で会えるという考え方。片割れが死んでも、夢の通い路を通して、夢の中で会えるのは、夢では、肉体と現世にガチガチに縛られた形而下の観念から解き放たれた自由な魂のパスポートが得られる、という考え方です。
人は肉体が朽ちたらそれで終わり、「無の世界」という禅的な考え方もあるけれど、中世の人々の夢と死の概念には、希望の一厘があると思います。
そう思えば、死は決して怖いものでは無い。中世の人々にとって、夢の世界は、ただのまぼろしでなくて、夢は生きている人々の世界と同じくらいの比重を持つ別の世界をつなぐ通路だった訳です。

冥界の王ハデスと取引し亡き妻エウリディーチェを現界に連れだすオルフェウス
イスラム世界でもそれは共通したものがあり、いまの私達の夢の位置付けと中世頃の人々におけるそれは随分ギャップがありました。それどころか、具体的に夢が人々を動かす力は現代よりも大きい、と考えられています。
ムハンマドが40歳の年、聖なるラマダーンの月にメッカに近い山上の洞穴で眠っていたとき見た夢の中で大天使ジブリールより、コーランの最初の啓示を受けたことを、彼は集まった信者たち説いてきかせ、信者に対しても夢に何を見たかを尋ねて、夢の象意を教えていました。彼も「夢解き」だったのですね。「夢、死」は宗教とも切っても切り離せない関係にあるようです。
アンジェロ・ブレリッヒの説では、ギリシャ時代にはるかに先行する時代から夢占いとインキュベーションの慣習は地中海全域で行われていて、人々は夢というものが、人間を超越した聖なる者たちが自分たちに送ってきてくれるメッセージだと考えており、人間では到底知りえない未来のことについて知るための手段であった、と説いています。それゆえに、夢は力を秘めうるというものです。
A midsummer night dream 「真夏の夜の夢」

シェイクスピアも夢の中で妖精からインスピレーションを得たのでしょうか
これは古来よりの統計学だそうですが、夢辞典によると、顕著な例でこんなふうに夢解きがされています。
☆大吉夢☆
ゾウが出てくる夢、猫が次々に家に入ってくる夢、富士山、金色に輝く山、自分が死ぬ夢、空を飛ぶ夢等
☆凶夢☆
カエルの夢、お金を拾う夢、好きな芸能人と共演してる夢、仏壇の夢、花火や流星を見る夢等
☆大凶☆
歯が抜ける夢、埋葬される夢等
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2016.05/31 [Tue]
洋行しなかった文学者たち
洋行しなかった文学者たち
洋行を望みながらも叶わなかった文学者の思いは、萩原朔太郎の詩のフレーズに表れている。
ふらんすへ行きたしと思へども、ふらんすはあまりに遠し
せめては新しき背広をきて きままなる旅にいでてみん

明治生まれの作家や詩人たちの出自を見ると、いずれも裕福な家に生まれている。
しかし当時、個人で海外旅行を実現するための資金額は並大抵ではなかったであろう。日本文学は欧米の文学に触発されながら、独自の世界を創り上げていくことになるが、必然的に日本の風土を舞台として、人間の内面や日常生活に素材を求める方向に進み、一部においては私小説が盛んになっていく。
幾人かの作家詩人の名前を挙げるが、自分の贔屓目が反映されているのはご了承を。
北原白秋
1885.-1942年 57才没 結核
石川啄木
1886.-1912年 26才没 結核
萩原朔太郎
1886.-1942年 55才没 急性肺炎
芥川龍之介
1892.-1927年 35才没 自殺
中原中也
1907.-1937年 30才没 結核
太宰治
1909.-1948年 38才没 心中
短い人生を駆け抜けた天才たち。明治生まれの日本人作家は綺羅星のように輝いて見える。
自分は既に彼らが生きた平均年数を大方過ぎてしまったが、何も自らの足跡を残してはいない。
特徴的なのは、死因が肺病、長らく不治の病とされていた結核によるケースが多いことである。
1882年、コッホによって結核菌が発見されたが、治療法が確立するのは、かなり後のこと。
1943年にストレプトマイシンが開発されるまで待たねばならなかった。一般的に応用されるのは戦後しばらく経ってからで、日本では子供のうちにBCG予防接種を施すようになり、そのお陰で結核は激減した。現在人の長寿は医学の発達の賜物である。
洋楽を嗜んだ朔太郎 自筆の楽譜

マンドリンの名手でもあった
上に挙げたのは詩人、または、詩人的な小説家であるが、室生犀星、宮沢賢治、堀辰雄などもそうである。
肺の病は、息の苦しさのなかで、命の切なさに至らせてくれるのだろうか。
だからといって、弱くはなくて、清らかにして、しなやかな、つまりは、したたかな抒情を備えている・・・肺を病んでから、詩が良くなるという詩人は少なくないようだ。
ともすれば、良い詩を書くにはちょいと肺を患えばよい訳だ、という朔太郎のシニカルな笑いが浮かんでくる。
洋行しなった文学者に共通しているのは、芥川龍之介は例外として、学歴が途中で挫折したりして、当時の社会から、優等生として見られなかった、つまり、洋行出来るような社会的なエリートではなかったこともあるようだ。
最後まで読んでくれてありがとう

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月を見ると、吠えたくなるなる時がある人はぽちっと☆☆

洋行を望みながらも叶わなかった文学者の思いは、萩原朔太郎の詩のフレーズに表れている。
ふらんすへ行きたしと思へども、ふらんすはあまりに遠し
せめては新しき背広をきて きままなる旅にいでてみん

明治生まれの作家や詩人たちの出自を見ると、いずれも裕福な家に生まれている。
しかし当時、個人で海外旅行を実現するための資金額は並大抵ではなかったであろう。日本文学は欧米の文学に触発されながら、独自の世界を創り上げていくことになるが、必然的に日本の風土を舞台として、人間の内面や日常生活に素材を求める方向に進み、一部においては私小説が盛んになっていく。
幾人かの作家詩人の名前を挙げるが、自分の贔屓目が反映されているのはご了承を。
北原白秋
1885.-1942年 57才没 結核
石川啄木
1886.-1912年 26才没 結核
萩原朔太郎
1886.-1942年 55才没 急性肺炎
芥川龍之介
1892.-1927年 35才没 自殺
中原中也
1907.-1937年 30才没 結核
太宰治
1909.-1948年 38才没 心中
短い人生を駆け抜けた天才たち。明治生まれの日本人作家は綺羅星のように輝いて見える。
自分は既に彼らが生きた平均年数を大方過ぎてしまったが、何も自らの足跡を残してはいない。
特徴的なのは、死因が肺病、長らく不治の病とされていた結核によるケースが多いことである。
1882年、コッホによって結核菌が発見されたが、治療法が確立するのは、かなり後のこと。
1943年にストレプトマイシンが開発されるまで待たねばならなかった。一般的に応用されるのは戦後しばらく経ってからで、日本では子供のうちにBCG予防接種を施すようになり、そのお陰で結核は激減した。現在人の長寿は医学の発達の賜物である。
洋楽を嗜んだ朔太郎 自筆の楽譜

マンドリンの名手でもあった
上に挙げたのは詩人、または、詩人的な小説家であるが、室生犀星、宮沢賢治、堀辰雄などもそうである。
肺の病は、息の苦しさのなかで、命の切なさに至らせてくれるのだろうか。
だからといって、弱くはなくて、清らかにして、しなやかな、つまりは、したたかな抒情を備えている・・・肺を病んでから、詩が良くなるという詩人は少なくないようだ。
ともすれば、良い詩を書くにはちょいと肺を患えばよい訳だ、という朔太郎のシニカルな笑いが浮かんでくる。
洋行しなった文学者に共通しているのは、芥川龍之介は例外として、学歴が途中で挫折したりして、当時の社会から、優等生として見られなかった、つまり、洋行出来るような社会的なエリートではなかったこともあるようだ。
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2016.05/22 [Sun]
フェリペ5世妃イサベル ~フロリダ沖に沈んだロイヤルコインの主たち~
フェリペ5世妃イサベル ~フロリダ沖に沈んだロイヤルコインの主たち~
イサベル・デ・ファルネシオ王妃
18世紀初めに成立したスペイン・ブルボン朝の国王フェリペ5世の妃。
祖父のルイ14世が薦めた縁談で結ばれた、イタリアのサヴォア家出身のマリア・ルイサ・ガブリエラ妃が早世したために、後妻としてイタリアのパルマ・ブルボン家から嫁いできた。

この王妃の存在を初めて知ったのは、スペイン旅行で訪れたマドリッドの王宮であった。
正面玄関ホールの上階で目に飛び込んできたイサベル・デ・ファルネシオの白い大理石像。
第一印象は優雅で威厳のある姿、響きの良い名前で、印象としては好感を抱いた。プラド美術館のゴヤの絵画群に程近い、ブルボン家歴代の王族の間に展示されている「フェリペ5世の家族の肖像」の絵画も然りで、夫婦と子供たちが理想的な家族を形成していたことを見る者に印象づけている。
その後、王室に関する書を読み、様々な記述に触れるとにつれて、イメージは逆転した。権力志向が強く、非常にキツイ性格の女性。息子カルロス3世の妻マリア・アマリア妃に対して嫁虐めをした鬼姑。もの凄い強権的なオーラを発している。おそらく絵画や彫刻においては、本人の実像よりも遥かに美化された姿で表現されており、実像との著しいギャップを感じた。

しかし、今回あらためて同時代の国際情勢と併せて王妃の生涯のあらましをひもとくと、再びイメージは大逆転した。後妻として嫁いだ時点での身辺を取り巻く厳しい境遇、不穏な国際情勢、これらを克服して、
成立直後のスペイン・ブルボン家の基盤を築いて安定に導いた功績。精神的に弱かった国王を支えた女傑。そうした部分が見えてきた。単なる王の妻ではない。幼少期から学問を身につけて、どの国に嫁しても完璧な王妃になれる教養深い資質を備えており、歴史、地理、哲学、音楽、絵画、各国の慣習と儀礼、文法修辞法、ラテン語、スペイン語、フランス語、トスカナ語を学んだ。教養豊かで、外交と政治の采配を振るい、実質的な女帝として君臨した偉大な人物に見えてきた。
人間というものは見る角度により、どのエピソードをすくい取って、その性格を判断するかで全く違ってくる。偏った主観を排除して、より客観的な像に近づかねばならない。
折りしも、今年1月にNHKで放映された1715年の沈没船に関する時代背景について興味を持ったので、その生涯のあらましを自分なりに整理するのが楽しみだ。

晩年のイサベル う~ん、貫禄が・・・
さて、その影薄き夫のフェリペ5世については、歴史的にどうのという功績は残してはいないのだが、ここ最近その存在が大きクローズアップされ始めたのは、ほかでもない、お宝中のお宝、魔のバミューダートライアングルに眠った沈没船のロイヤルコインが呼び水になってからだろう。
1715年のスペイン財宝船団をめぐっては、いまだ200億円以上のお宝が海底に沈んでいるといわれている。その中で「最大のお宝」といわれているのが、「スペイン王の伝説の秘宝:ロイヤルコイン」である。
ここまで書くと、もうスペイン王家の歴史とか、時代背景などはそっちのけ、ほとんどがバミューダに沈んだあの金貨の入った赤い縁取りのある宝箱を想像するトレジャーハンターな目をしているのではあるまいか?
人間のさがである。(笑)
そこで、そのお宝について紹介し、結びにしたほうが賢明に思えてきた。

「世界に50枚しかない伝説の金貨」
スペイン王である、フェリペ5世。TBSテレビ『財宝伝説は本当だった バミューダ海400億円沈没船 パナマの秘宝 歴史的大発見SP』テレビ史上最大級の財宝発掘プロジェクト、その一部始終は、今年の正月特番で紹介された。
ロイヤルコインとは、当時のスペイン王たちのために作られた「世界にわずか50枚ほどしかない」伝説の金貨。1715財宝船団には、そのうちの20枚が、フェリペ5世の結婚を祝う贈答品として積み込まれていた。その価値は、1枚1億円以上ともいわれる。
ほかの金貨に比べ、大きさや形状は比較にならないほどのクオリティで、トレジャーハンター界の中で、最も価値のあるお宝のひとつと言われている。
これまで引き上げられたのは、6枚。いまだ14枚のロイヤルコインが海底に眠る。
奇しくも2015年は、1715財宝船団が海底に沈んでちょうど300年目の年。果たして広大な海の底から、わずか数センチの金貨を見つけることは出来るのか。
金貨にばかり目がいって、本来結婚を祝して送られるはずだった当事者は忘れられがちな存在。
「本当はわたしたちのものよ」という王と王妃の声が海底から聞こえた気がして、スペイン継承戦争よいう激動の時代を生きたおふたりについて、記してみた。
美雨
フロリダ沖でみつかったロイヤルコインより

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イサベル・デ・ファルネシオ王妃
18世紀初めに成立したスペイン・ブルボン朝の国王フェリペ5世の妃。
祖父のルイ14世が薦めた縁談で結ばれた、イタリアのサヴォア家出身のマリア・ルイサ・ガブリエラ妃が早世したために、後妻としてイタリアのパルマ・ブルボン家から嫁いできた。

この王妃の存在を初めて知ったのは、スペイン旅行で訪れたマドリッドの王宮であった。
正面玄関ホールの上階で目に飛び込んできたイサベル・デ・ファルネシオの白い大理石像。
第一印象は優雅で威厳のある姿、響きの良い名前で、印象としては好感を抱いた。プラド美術館のゴヤの絵画群に程近い、ブルボン家歴代の王族の間に展示されている「フェリペ5世の家族の肖像」の絵画も然りで、夫婦と子供たちが理想的な家族を形成していたことを見る者に印象づけている。
その後、王室に関する書を読み、様々な記述に触れるとにつれて、イメージは逆転した。権力志向が強く、非常にキツイ性格の女性。息子カルロス3世の妻マリア・アマリア妃に対して嫁虐めをした鬼姑。もの凄い強権的なオーラを発している。おそらく絵画や彫刻においては、本人の実像よりも遥かに美化された姿で表現されており、実像との著しいギャップを感じた。

しかし、今回あらためて同時代の国際情勢と併せて王妃の生涯のあらましをひもとくと、再びイメージは大逆転した。後妻として嫁いだ時点での身辺を取り巻く厳しい境遇、不穏な国際情勢、これらを克服して、
成立直後のスペイン・ブルボン家の基盤を築いて安定に導いた功績。精神的に弱かった国王を支えた女傑。そうした部分が見えてきた。単なる王の妻ではない。幼少期から学問を身につけて、どの国に嫁しても完璧な王妃になれる教養深い資質を備えており、歴史、地理、哲学、音楽、絵画、各国の慣習と儀礼、文法修辞法、ラテン語、スペイン語、フランス語、トスカナ語を学んだ。教養豊かで、外交と政治の采配を振るい、実質的な女帝として君臨した偉大な人物に見えてきた。
人間というものは見る角度により、どのエピソードをすくい取って、その性格を判断するかで全く違ってくる。偏った主観を排除して、より客観的な像に近づかねばならない。
折りしも、今年1月にNHKで放映された1715年の沈没船に関する時代背景について興味を持ったので、その生涯のあらましを自分なりに整理するのが楽しみだ。

晩年のイサベル う~ん、貫禄が・・・
さて、その影薄き夫のフェリペ5世については、歴史的にどうのという功績は残してはいないのだが、ここ最近その存在が大きクローズアップされ始めたのは、ほかでもない、お宝中のお宝、魔のバミューダートライアングルに眠った沈没船のロイヤルコインが呼び水になってからだろう。
1715年のスペイン財宝船団をめぐっては、いまだ200億円以上のお宝が海底に沈んでいるといわれている。その中で「最大のお宝」といわれているのが、「スペイン王の伝説の秘宝:ロイヤルコイン」である。
ここまで書くと、もうスペイン王家の歴史とか、時代背景などはそっちのけ、ほとんどがバミューダに沈んだあの金貨の入った赤い縁取りのある宝箱を想像するトレジャーハンターな目をしているのではあるまいか?
人間のさがである。(笑)
そこで、そのお宝について紹介し、結びにしたほうが賢明に思えてきた。

「世界に50枚しかない伝説の金貨」
スペイン王である、フェリペ5世。TBSテレビ『財宝伝説は本当だった バミューダ海400億円沈没船 パナマの秘宝 歴史的大発見SP』テレビ史上最大級の財宝発掘プロジェクト、その一部始終は、今年の正月特番で紹介された。
ロイヤルコインとは、当時のスペイン王たちのために作られた「世界にわずか50枚ほどしかない」伝説の金貨。1715財宝船団には、そのうちの20枚が、フェリペ5世の結婚を祝う贈答品として積み込まれていた。その価値は、1枚1億円以上ともいわれる。
ほかの金貨に比べ、大きさや形状は比較にならないほどのクオリティで、トレジャーハンター界の中で、最も価値のあるお宝のひとつと言われている。
これまで引き上げられたのは、6枚。いまだ14枚のロイヤルコインが海底に眠る。
奇しくも2015年は、1715財宝船団が海底に沈んでちょうど300年目の年。果たして広大な海の底から、わずか数センチの金貨を見つけることは出来るのか。
金貨にばかり目がいって、本来結婚を祝して送られるはずだった当事者は忘れられがちな存在。
「本当はわたしたちのものよ」という王と王妃の声が海底から聞こえた気がして、スペイン継承戦争よいう激動の時代を生きたおふたりについて、記してみた。
美雨
フロリダ沖でみつかったロイヤルコインより

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2016.05/13 [Fri]
卵論争でキチンとチキンな歴史 chicken-and-egg ?
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卵論争でキチンとチキンな歴史 chicken-and-egg ?

ニコライ2世の卵ミニアチュールコレクション
It's a chicken and egg situation - a situation in which it is impossible to say which of two things existed first and which caused the other.
chicken-and-egg 、英米でよく使われる、「因果関係がわからない」、「白黒判明出来ない」という意味を表す慣用語です。
本当にどちらが先なのでしょうね?
可愛がっていたチャボのクレ(呉)母さんが雛鳥を孵したとき、感動のあまり滂沱と涙を流した8歳のあの日。あれから、生命の神秘に惹かれ、理科の先生を見つけては聞きまわっていた美雨です。
勿論、明確に答えを知っている人はだれ一人としてなく、ウンチクはしてくれるものの、ますますメビウスの輪に迷い込んでしまったような錯覚に陥るばかり。
忘れていたこの問いかけが、にわかに活発化したのは、ディズニー映画、チキン・リトルが上映されてから。
卵がなければ鶏が生まれないし、鶏がいなければ卵も生まれない。だから最初は一体どっち?と、何世紀もの間議論が繰り返され、いまだ謎のヴェールにつつまれていた生命の因果関係。
英国の遺伝子専門家でノッティンガム大のブルック・フィールド教授(進化遺伝子学)によると、「生物が生きている間に遺伝物質が変化することはなく、ニワトリ以外の鳥が途中でニワトリになることはあり得ない。
ゆえに、このためニワトリ以外の鳥が産んだ卵が、突然変異でニワトリの特性を備えた卵になった」と結論づけたという記事がありました。
教授をまじえ、哲学者、養鶏家の3人が結論を下したその答えは、卵がさき、というものでした。

同
けれど、それに異論を唱える学者もいます。
聖書では、アダムとイブが最初の人間として現われたと述べていますが、彼らは成人であったし、また、最初に誕生した鶏や他の生物も、全てが成体の状態であったと述べられていることから、「卵が先ではなく、鶏が先だったのである。」という説を有力視しています。
それを裏づける科学的な理論を抜粋してみます。
母親の胎内に宿った受精卵の中にある遺伝子DNAは、大人になった人間の各細胞内にある遺伝子DNAと全く同じ内容で、そのDNA一個の中には、百科事典でいえば1億ページ分にも相当するような膨大な量の情報がつまっている。この卵がどのように細胞分裂を繰り返して、どの細胞が目になり、どの細胞が耳になり、どの細胞が足になり、どの細胞が翼になる…といったすべての情報とプログラムが、その卵のDNA内に含まれている。
遺伝子情報という観点から見れば、卵も、また成長して大きくなった鶏も全く変わらない。そして、卵は親鶏がいなければ生まれない。卵にすべての遺伝情報を与えたのは、親鶏だからである。
だから生物の歴史において、卵は決して先に誕生したのではない。一番最初に誕生したのは、親鶏であった。また人間で言えば、大人が最初に出現したのである。
・・・という説。
でも、その親鳥も元はとえば、そのDNAを作ってくれた卵がら生まれたわけですよね?
メビウスの輪理論からカオス論になりそうな議論はいまも世界の有識者たちの間で熱く繰り広げられています。

難しい議論は置いといて、今日はそんな神秘のメビウスな卵から、オムレツを作ってみました。お寝坊さんしちゃった日、オムレツ料理は手軽でありがたいです。(*^_^*)
とはいうものの、卵料理って簡単そうでいて、結構難しいです。
プロからも、火の加減ひとつでまったく食感が変わってしまう”火の芸術”と言われています。
プロのシェフはまず卵の割り方から教わって卵料理からマスターし、最終的にまた卵に戻る・・・なんて料理家の本を読んだこともあります。
うーん、そんなふわふわでバターの香りも秘めやかな美味しいオムレツが出来たかな?
では、神秘なるメビウスの卵を、いただきま~す♪

パスタとオムレツ

シャクヤクさんより

今日も読んでくれてありがとう♪
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※週末出かけますのでコメント欄閉じさせていただきました。<(_ _)>
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ニコライ2世の卵ミニアチュールコレクション
It's a chicken and egg situation - a situation in which it is impossible to say which of two things existed first and which caused the other.
chicken-and-egg 、英米でよく使われる、「因果関係がわからない」、「白黒判明出来ない」という意味を表す慣用語です。
本当にどちらが先なのでしょうね?
可愛がっていたチャボのクレ(呉)母さんが雛鳥を孵したとき、感動のあまり滂沱と涙を流した8歳のあの日。あれから、生命の神秘に惹かれ、理科の先生を見つけては聞きまわっていた美雨です。
勿論、明確に答えを知っている人はだれ一人としてなく、ウンチクはしてくれるものの、ますますメビウスの輪に迷い込んでしまったような錯覚に陥るばかり。
忘れていたこの問いかけが、にわかに活発化したのは、ディズニー映画、チキン・リトルが上映されてから。
卵がなければ鶏が生まれないし、鶏がいなければ卵も生まれない。だから最初は一体どっち?と、何世紀もの間議論が繰り返され、いまだ謎のヴェールにつつまれていた生命の因果関係。
英国の遺伝子専門家でノッティンガム大のブルック・フィールド教授(進化遺伝子学)によると、「生物が生きている間に遺伝物質が変化することはなく、ニワトリ以外の鳥が途中でニワトリになることはあり得ない。
ゆえに、このためニワトリ以外の鳥が産んだ卵が、突然変異でニワトリの特性を備えた卵になった」と結論づけたという記事がありました。
教授をまじえ、哲学者、養鶏家の3人が結論を下したその答えは、卵がさき、というものでした。

同
けれど、それに異論を唱える学者もいます。
聖書では、アダムとイブが最初の人間として現われたと述べていますが、彼らは成人であったし、また、最初に誕生した鶏や他の生物も、全てが成体の状態であったと述べられていることから、「卵が先ではなく、鶏が先だったのである。」という説を有力視しています。
それを裏づける科学的な理論を抜粋してみます。
母親の胎内に宿った受精卵の中にある遺伝子DNAは、大人になった人間の各細胞内にある遺伝子DNAと全く同じ内容で、そのDNA一個の中には、百科事典でいえば1億ページ分にも相当するような膨大な量の情報がつまっている。この卵がどのように細胞分裂を繰り返して、どの細胞が目になり、どの細胞が耳になり、どの細胞が足になり、どの細胞が翼になる…といったすべての情報とプログラムが、その卵のDNA内に含まれている。
遺伝子情報という観点から見れば、卵も、また成長して大きくなった鶏も全く変わらない。そして、卵は親鶏がいなければ生まれない。卵にすべての遺伝情報を与えたのは、親鶏だからである。
だから生物の歴史において、卵は決して先に誕生したのではない。一番最初に誕生したのは、親鶏であった。また人間で言えば、大人が最初に出現したのである。
・・・という説。
でも、その親鳥も元はとえば、そのDNAを作ってくれた卵がら生まれたわけですよね?
メビウスの輪理論からカオス論になりそうな議論はいまも世界の有識者たちの間で熱く繰り広げられています。

難しい議論は置いといて、今日はそんな神秘のメビウスな卵から、オムレツを作ってみました。お寝坊さんしちゃった日、オムレツ料理は手軽でありがたいです。(*^_^*)
とはいうものの、卵料理って簡単そうでいて、結構難しいです。
プロからも、火の加減ひとつでまったく食感が変わってしまう”火の芸術”と言われています。
プロのシェフはまず卵の割り方から教わって卵料理からマスターし、最終的にまた卵に戻る・・・なんて料理家の本を読んだこともあります。
うーん、そんなふわふわでバターの香りも秘めやかな美味しいオムレツが出来たかな?
では、神秘なるメビウスの卵を、いただきま~す♪

パスタとオムレツ

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